和井内貞行
奥入瀬最大の滝である『銚子大滝』は高さ7メートル、幅20メートルで別名『魚止めの滝』とも呼ばれます。それはこの滝によって魚の遡上が遮られ、十和田湖に魚が侵入できなかったからです。そのため十和田湖には一匹の魚も生息していませんでした。
その十和田湖に養魚事業を思い立ったのが『和井内貞行(わいないさだゆき)』です。
近くの小坂鉱山に勤務していた貞行は、鉱山労働者たちの食事になんとか新鮮な魚を提供できないものかと思い立ち、勤務のかたわら十和田湖の養魚事業に着手し、1884年(明治17年)、最初にコイ・フナ・イワナを放流しましたがあえなく失敗に終わりました。しかしあきらめることなく以後、何度も失敗を繰り返し、ついには私財までなげうち鉱山を退職してまで辛抱強く研究をつづけました。そのため近所の住民からはかわいそうに気が変になったのではないか、と冷たい視線で見られていたそうです。
しかし1903年に北海道支笏湖のヒメマスの稚魚を放流し、1905年に成魚となって回帰したことにより、ついに十和田湖の養魚事業に成功しました。事業に着手してからじつに21年の月日が流れていました。ために現在、十和田湖はヒメマス釣りのスポットとして有名であり、年間約200万人もの観光客か訪れます。この十和田湖の開発に一生をかけた和井内貞行の物語は、たしか小・中学校のいずれかの教科書にも載っていたような記憶があり、その不撓不屈の精神にとても感動しました。
冬の銚子大滝は水量の激減により、ほとんど枯れたような状態で端っこがわずかに凍りついていましたが、いまはナイアガラの滝を彷彿させるかのように水が豪快に流れ落ちており、近づくと滝の飛沫で服がしっぽりと濡れてしまいました。
歩き始めてから約2時間、遊歩道終点の『子の口』に到着しました。
子の口は休屋(やすみや)ゆきの遊覧船が発着する交通の要所で、大勢の観光客でごった返していました。ここから渋滞のため40分おくれのJRバス『みずうみ12号』で休屋に向かいました。休屋からさらに十和田南線のJRバス『とわだこ16号』に乗って花輪線の十和田南駅を目指します。とわだこ16号もみずうみ号と同じく座席定員制のはずですが、いざ乗ってみると座席はすでに埋まっており、つり革につかまっている人も多くいます。これはどうしたものかと不審に思いましたが、これだけほかにも立ち客が多くいる以上、運転手に話が違うやないか、などと文句をいっても始まらないので、仕方なくつり革につかまることにしました。途中、十和田湖を俯瞰する有名な展望台のひとつ『発荷峠(はっかとうげ)』で5分間の休憩があります。16:53バスは終点の十和田南駅に到着しました。ここからJR花輪線の列車に乗り換えて盛岡駅に出ることにします(つづく)。

 
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