津軽海峡夏景色“最後の汽笛が響く夏”
1987年(昭和62年)、青函トンネルの開通を翌年3月に控え、青森から函館を結ぶ青函連絡船にとって『最後の夏』が訪れようとしていました。
長年、青函連絡船に親しんできた者として、会社のお盆休みを利用して『お別れ乗船』に行ってこようと思い立ちました。例によって会社の仕事が終わったあとの8月11日の火曜日の晩に、大阪駅10番線に立ちました。2008年3月のダイヤ改正で廃止されてしまった東京行きの寝台急行『銀河』号に乗車するためです。寝台券は熊取駅のみどりの窓口で購入し、10号車の8番下段でした。大阪を22:10に出発し、東京駅には翌朝の6:54に到着しました。ここまでは楽勝でした。朝食はまだでしたがこれから乗車する東北新幹線の中で駅弁を買ってとる予定でした。当時、東北新幹線は東京駅まで乗り入れておらず、始発駅は上野駅でした。ちなみに東京駅乗り入れは1991年(平成3年)のことです。
山手線で上野まで行き、新幹線ホームにゆくとなんと早朝にもかかわらず大混雑でした。お盆の帰省ラッシュにぶつかってしまったのです。当時は、列車の旅ではブルートレインなどをのぞき原則、自由席利用派でした。だいいち指定席では隣にどんな人がやってくるかわからず、文字通り自由な旅がしたかったからです。しかしこの時は指定席を確保してなかったことを心底後悔しました。上野8:00発に乗った東北新幹線『やまびこ41号』の自由席は通勤電車なみの押すな押すなの超満員でいまでいう乗車率200パーセントのような感覚でした。もはや朝食に弁当を食うどころの騒ぎではありません。さらに時折、見上げた営業努力というかワゴンサービスが人垣をかき分けるように行き来するのには恐れ入りました。
結局、終点盛岡まで約3時間20分立ちっぱなしでした。盛岡に着くと、朝から水はおろかなにも食べていない影響でもはやフラフラで、しかも乗り継ぐ予定だった11:37の青森ゆきの特急『はつかり7号』の自由席が、やまびこ号の自由席の混雑を引き継ぐように、これまた超満員で、『いかん。これでは倒れる』と思い乗車を断念しました。
とにかくなにか腹に入れなければと考え、ホームで駅そばをすすりました。これでようやく生き返ったような気分となり、予定より1本遅らせた12:34発の特急『はつかり9号』にのりました。車両は世界初の電車寝台である583系です。
ちなみに先日、2010年10月16日に今年12月の東北新幹線『新青森駅』開業を記念して、特急はつかり号のリバイバル運転がおこなわれました。1日限りの復活運転で、事前申し込み3700人の中から抽選で250人がえらばれ、1958年10月の、はつかり号誕生当時と同じく、上野から青森までの区間を約11時間30分かけてのんびりと走りました。12月4日の東北新幹線、新青森駅開業後は東京〜新青森間は最速約3時間20分ということですから、その差はカメとウサギのごとく歴然です。はつかりはその後、1982年東北新幹線開業後は運転区間を変更し、盛岡〜青森間を走り、2002年12月の新幹線、八戸駅延伸とともに廃止されていました。
1本遅らせたことにより向い合せボックス型の自由席はガラガラで、終点青森までの約2時間ようやくのんびりと列車の旅を楽しむことができました。
途中、野辺地駅では2002年に廃止された鉄道ファンあこがれの南部縦貫鉄道の『レールバス』を車窓に眺めることができ、これも貴重な体験でした。青森には定刻の14:47に到着しました。すでに桟橋には15:00発青函連絡船5便の『摩周丸』が待っていました(つづく)。

 
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