日本三名瀑〜華厳の滝〜
翌日(9月11日)、今日は小雨のあいにくの天気です。
予定では、天気がよければ奥日光の『戦場ヶ原』のハイキングを予定していたのですが、雨中のハイクに気がすすまず、近くにある『華厳の滝』を見に行きました。
中禅寺湖の唯一の流出口である大谷川から流れ落ちる落差97メートルの『華厳の滝』は、和歌山県の『那智の滝』、茨城県の『袋田の滝』とともに日本三名瀑のひとつです。発見者は日光を開山した勝道上人で、名前の由来も仏教の経典からきています。ちなみに国土地理院によると、『滝』とは落差5メートル以上のものをいいます。
『華厳の滝』の面白いところは、湖と滝の中間に、湖面の水量調節のための『中禅寺ダム』が設けられていて、湖面の水位の状態によって放水量が変化することです。つまり、渇水期にはダムを絞って放水量を少なくし、梅雨・豪雨や台風時などにはダムを全開にして放水量を多くするということです。また夜間は、ダムを締め切って滝の流れをほとんど止めてしまう(伏流水があるため完全には止まらないが)ことも多いそうです。こうなってくるとダムの完成(1959年)後の華厳の滝は、極端な言い方をすれば『人工の滝』ともいえそうです。この日は幸い(?)雨模様でしたので、豪快に流れ落ちる滝の姿を見ることができました。
いま見ている滝とかつての滝の姿とは少し違います。
以前は、まっすぐな『一本滝』でしたが、1986年(昭和61年)10月24日に、滝口の岩石が突如、崩れ落ち川幅がいままでの約2倍(7メートル)に広がってしまい、滝壺の上部に一度当たってから下に落ちる、といったふうに変わりました。滝の眺めは、無料の『観瀑台』からのほか、『華厳の滝エレベーター』(往復530円)で岩盤の中を約1分100メートルほど下って、間近に眺める、ということもできます。鉄道の駅舎のような乗り場からエレベーターで降りていって、『滝壺観瀑台』に立つと轟音ととに滝が落下していて、飛沫をもろに浴びてすごい迫力です。
なんでもそこにいた写真屋さんによると、前日は濃霧に包まれて滝をまったく見ることができなかったそうですので『運がいいよ』と言われました。
この滝も『心霊スポット』のひとつで、1903年(明治36年)に当時の第一高等学校(いまの東大)に通う『藤村操(ふじむらみさお)』が、『人生不可解』と記された遺書『巌頭之感(がんとうのかん)』を傍らに残して投身自殺しました。原因は失恋とも言われていますが、ともかくもこのエリート学生の死は、明治維新後の競争社会を美徳としてきた世間に大きな影響を与え、その後数年間で、この滝で自殺を図ったものが200名近くも出るという大変な騒ぎになりました。以来、今日に至るまで霊感のある人が、ここで写真を撮ると俗にいう『心霊写真』がとれるとのことです。
このあとふたたびバスでに乗車し、日光に戻りました。帰りは、東武鉄道ではなく、JRの日光駅・日光線を利用することにしました。
JR日光駅は、1890年(明治23年)6月1日開業の、明治時代のロマネスク建築のレトロな駅舎です。ここから東北本線の接続駅である『宇都宮駅』まで、この当時、普通電車が片道約40分かけて1日25往復していました。そのうちの1往復は上野まで直通、と記録に書いています。
12:01発、宇都宮ゆき普通電車に乗りました。東武鉄道との乗客獲得競争に敗れたJR線の電車の車内はガラガラでした。
なお冒頭で述べた、2005年3月からJR東日本と東武鉄道の相互乗り入れ開始の件で、JRの車両が国鉄時代の旧式のものである、といいましたが、
今年(2011年)4月から空港連絡特急『成田エキスプレス』に使われていた『253系』を改装した特急型車両が投入され始めたようです。これにより、絶対優位を誇っていた東武鉄道の『スペーシア』との差が、だいぶ縮まったようです。
さてJR日光線は、国の特別天然記念物『日光杉並木』に沿って走ります。徳川家3代を支えた側近の『松平正綱・正信』親子が植栽、約370年前に寄進したもので、約1万5千本の杉並木が東照宮を基点に総延長約37キロメートルにおよぶものです。
近年は排ガスによる壊死が目立ってきたため、舗装を撤去して遊歩道にするという計画もあるようです(つづく)。

 
1 2 3 4 5 6 7 8 9 道中記TOPへ
     
 

(c) 2005 Takahashi Satoshi. All Rights Reserved.