徳川家光墓所〜大猷院〜
東照宮の参拝を終え、日光山内の中心地であった『二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)』と寛永の大造営で、現在の東照宮を豪壮華麗なものに造り上げた三代将軍『徳川家光』の廟所に向かいます。『二荒山(ふたらさん)』とは『男体山(なんたいさん)』の別名で、栃木県日光市の中禅寺湖の北側にある標高2484メートルの火山です。富士山と同じく『成層火山』で、美しい円錐形をしています。中禅寺湖はこの火山が爆発して川がせき止められて誕生しました。
日光を開山した『勝道上人(しょうどうじょうにん)』は、782年(天応2年)に3回目の挑戦でようやくこの山の『初登頂』に成功しています。二荒山神社のご神体はこの男体山です。またこの神社は、天台宗の鎮守護である『山王権現』のひとつでしたが、明治維新の『神仏分離令』により二荒山神社本社と改名しました。大鳥居の奥に見える拝殿・本殿は、1619年(元和5年)に2代将軍徳川秀忠が建立したものです。
日光廟『大猷院(だいゆういん)』は東照宮をプロデュースした三代将軍徳川家光の墓所です。
ちなみに、三代将軍家光は、今年(2011年)のNHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』の主人公で、浅井三姉妹のひとりである『お江』が二代将軍の秀忠に嫁いで、生まれた子供です。
お江は他に、豊臣家の後継者である『豊臣秀頼(とよとみひでより)』に嫁いだ有名な『千姫(せんひめ)』も生んでいます。この千姫は大阪城落城のとき、祖父である徳川家康の命により救出されています。千姫はのちに、姫路新田藩の初代藩主『本多忠刻(ほんだただとき)』と再婚するのですが、その輿入れの行列を津和野藩主であった『坂崎直盛(さかざきなおもり)』が襲撃して千姫を強奪する、という計画(千姫事件)に巻き込まれ、直盛は切腹、坂崎氏は改易となりました。
俗説によると、大阪城落城の際に、家康が『千姫を助け出した者に姫を嫁がせよう』と宣言したため、勇躍した坂崎直盛が、顔面に火傷を負いながらも姫を救いだしましたが、
その容貌を嫌った千姫に拒絶され、家康にも約束を反故にされ、それを恨んでの凶行とされていますが、実際には姫を助け出したのは、豊臣方の武将で、身柄を受け取った直盛が姫を直接、送り届けたというのが通説になっているようです。たしかに燃え盛る大阪城に突入して、まよわず姫を見つけ出し、抱きかかえてともに脱出するというのはマジシャンでもない限り、相当な無理があるものと思われます。
直盛の『千姫強奪計画』は、別の説によると寡婦となった千姫の再婚話を家康から依頼され、ある公家との縁談まで話が進んだところで突如、本多忠刻との縁組が決まったため面目をつぶされたことに立腹したためだという話があり、こちらのほうが現実的な話のような気がします。
話がそれましたがいずれにせよ、『お江』と、その母の『お市の方』、そして『千姫』と親子3代にも渡って落城を経験し、そこから奇跡的な生還するというのはどういう因果かと思ったりもします。
三代将軍『徳川家光』は『余は生まれながらの将軍である』と言った人です。徹底した『武断政治』を行い、『武家諸法度』の改訂や『参勤交代』の制度も家光の時代に確立されました。
東照大権現として祀られた祖父の家康を深く尊敬し、生涯のうち『日光社参』を10回も行っています。『二世権現』とも自称し、家康への尊崇の傾斜のほどがうかがえます。父の二代将軍秀忠が、愛妻家とも恐妻家ともいわれ、ひとりの『側室』も置かなかったことに比べて、幾人もの側室を寵愛しました。
浪費家としても有名で、華美な服装を好み、粋な『いでたち』のことを指す『伊達者(だてもの)』という言葉を残した、同じく派手好きな独眼竜で知られる戦国武将『伊達正宗(だてまさむね)』とはとくにウマがあったようで、たびたび呼び出しては、合戦の話を聞いたり世間話をしたりして大いに喜びました。家光がもし存在しなければ、現在の東照宮はなかったといっても過言ではなく、その蓄財の浪費により、幕府財政の破綻の端緒を作ったとの評価もあります。
その家光を祭る『大猷院』は、『東照宮をしのいではならん』という家光の遺言に従い、1653年(承応2年)4月に完成しています。『二天門』は極彩色の派手な門で、左右に『持国天』『広目天』を配しているためにこの名があります。最奥にある竜宮城の門を思わせる『皇嘉門(こうかもん)』は、病弱のため46歳で亡くなった家光の墓所の前にありますが、一般の拝観はここまでとなっています。
日光見学ののち、駅に戻り、満員状態の東武バスで今日の宿泊地である『中禅寺温泉』へと向かいました。約45分ほど揺られて着いた温泉駅の建物はとても古く、老朽化が進んだものでした。湖畔から眺める今日の中禅寺湖は、視界が悪く、湖面には深い霧が立ち込めていて、北岸にそびえるはずの男体山の雄姿は見えません。この夏、奥日光地方はずっと天候不順で観光客も減ったといいます。
本日はたいへん歩き疲れたので、予約してあった中禅寺ホテルに早々とチェックインしました。このホテルも温泉駅に劣らず、非常に古臭く、くたびれた建物でした(つづく)。
 
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