阿蘇五岳
瀬の本高原をすぎ、熊本県に入り、やまなみハイウェイも終点に近づくと、正面に『阿蘇五岳』が大きく見えてきます。ひとことに『阿蘇山』といっても正確には阿蘇山という独立峰はなく、阿蘇五岳(あそごがく)と呼ばれる五つの山の総称をいいます。これは北海道の大雪山や青森県の八甲田山などもみな同じです。
阿蘇五岳とは、『根子岳(ねこだけ)』『高岳』『中岳』『烏帽子岳(えぼしだけ)』『杵島岳(きしまだけ)』をいい、最高峰は高岳の1592メートルです。現在、噴火口のある山は『中岳(1506m)』です。このうちギザギサ頭の奇怪な山容をもつのが『 根子岳(1408m)』です。それゆえ登山にはロッククライミングの技術が必要といわれています。
民話があってそれによると、阿蘇五岳たちはそれぞれ誰が一番早く高くなれるかを競っていました。そしていちばんの末っ子だった根子岳が長男の高岳を抜いてトップにたちました。しかし、それは付近の鬼たちに阿蘇の国の自由を与える代わりに、土を運んでこさせて積ませたものでした。
阿蘇の神はこれを知ると激怒し、根子岳の頭を何度も叩いて叱りつけました。そのため根子岳の頭はギザギザになってしまった、とのことです。
阿蘇五岳は、遠くからみるとまるで釈迦が横たわっているようにみえることから、俗に『釈迦の涅槃像(しゃかのねはんぞう)』といわれています。涅槃像を眺める有名な展望台として『大観峰(だいかんぽう)』や、やまなみハイウェイの『城山展望所』があります。城山展望所はぜひ立ち寄りたかったのですが、ここでもやはり快調に交通の流れに沿って走行していたため、またもやスルーしてしまいました。写真は走行中の車内から撮影した『涅槃像』です。
この日の宿泊地は阿蘇内牧温泉の近くの、『阿蘇の司 ビラパークホテル』です。阿蘇五岳を借景に建つ大型ホテルで、とくに根子岳と噴煙をあげる中岳の眺望がいいです。
ホテルは6つの建物に分かれており、いちばん新しいとおもわれる『昇龍』の和洋室に泊まりました。ホテルの食事は夕食・朝食ともバイキングです。
ここでも中国からの団体客が多く、文化の違いでしょうが、夕食会場で、大声でまるで我が家にいるかのようにふるまっているのにはいささか閉口しました。(つづく)

阿蘇中岳火口
明けて6月7日(月)、朝から天気は曇りで、山沿いでは雨が降るかもしれません、という予報でした。今日は阿蘇パノラマラインを登って、阿蘇山公園道路を利用して、中岳の火口を見に行こうと思います。よく俗に『世界一の阿蘇』といいますが、阿蘇カルデラの大きさは南北24キロメートル、東西18キロメートルで、カルデラの大きさだけで言えば、北海道の屈斜路湖(くっしゃろこ)カルデラのほうが大きいです。ただカルデラの中に鉄道や道路が敷かれたり、耕作地や多くの人家があってたくさんの人々が住んでいるというのは世界でも例がないそうです。
阿蘇山公園道路の入り口近くにある『古坊中』は阿蘇山岳信仰の聖地として知られます。付近のヤマツツジが綺麗でした。阿蘇、中岳火口は周囲4キロメートル、深さ130メートルにおよび活動状況や有毒ガス発生時には、立ち入りが規制されます。今まででも、見学時に爆発に巻き込まれたり、ガスにやられたりして犠牲者が出ています。
火口駐車場に着くと、あいにく濃い霧につつまれていました。どこもかしこも真っ白でなにも見えません。しかし売店の人に尋ねると『ほんの5分ほど前まで見えていた』ということですので、きっとまた視界が開けるに違いない、と確信し、しばし待つことにしました。この日気温は14度しかなくとても寒いです。半袖でやってきている観光客がけっこういて、季節外れの寒さにみんな震え上がっていました。
やがて待つこと約20分、一気に霧が晴れました。それっとばかりに売店から火口にむけて駆け出しました。周囲には爆発時の緊急避難所がいくつも設けられています。その様子はまるでどこかの要塞のトーチカのようです。火口を覗き込むと白い噴煙がはっきりと見えました。そればかりかエメラルドグリーンの『湯だまり』も視認できます。ただこの、湯だまりは火山活動が活発になると干上がってしまうそうです。(つづく)

 
1 2 3 4 5  道中記TOPへ
     
 

(c) 2005 Takahashi Satoshi. All Rights Reserved.