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銚子駅に戻って、濡れた靴を交換し、駅のうどん屋さんで簡単な昼食をとったあと、13時30分過ぎの路線バスで、茨城県の鹿島神宮に向かいました。
鹿島というと、いまでは真っ先にサッカーJリーグの名門『鹿島アントラーズ』が想起されますが、当時はまだリーグ発足の2年前であり、チーム名も『住友金属蹴球団』という垢抜けないものでした。まもなくブラジルのスーパースター『ジーコ』がやってきて加入し、1992年のJリーグ発足とともに現在のチーム名に改称され、現在に至っています。チーム名の『アントラー』とは鹿島神宮に神の使いとして飼われている日本鹿の、『枝角』を英語で表記したものから由来しています。鹿島神宮駅へは銚子駅からバスで約40分ほどの距離で、途中、利根川にかかる日本一長い『川の橋』である『銚子大橋』(1450メートル)を渡るなど楽しい車窓が見られます。
ちょうどバスが鹿島神宮駅に着くころようやく雨も上がり天候が回復しました。駅は、JRの鹿島線と私鉄の鹿島臨海鉄道が乗り入れている橋上駅舎です。ここから歩いて10分ほどの距離に鹿島神宮があります。
たいへん格式の高い神社で、常陸国一宮であり、旧社格は官幣大社です。さらに日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社です。平安時代に『神宮』の称号で呼ばれていたのは伊勢神宮、香取神宮、そして鹿島神宮の3社だけだったとも言われています。創建は神武天皇、紀元前660年とも伝えられていますが真偽は不明だそうです。
とにかくおそろしく古いということでしょうか。神宮の逸話にはほかにも枚挙にいとまがありませんが、祭神はタケミカヅチオという日本神話に出てくる武神・軍神です。そのため古来より平将門をはじめ多くの武将たちから厚く崇拝されておりました。
境内は思っていたほど広くはありませんでした。
朱色があざやかな楼門をすぎると、まもなく右手に白木造りの拝殿と朱塗りの本殿があります。奥宮は当初は本殿だったものが、1619年の造替によって現在の地に移されて奥宮となりました。ほかに『要石』(かなめいし)というのがあります。これは地震を起こす大鯰の頭を押さえ込むため地中深く埋め込まれたのもので、水戸黄門人徳録によると、ためしに7日7晩掘ってもついに掘りきることは出来なかった、とあります。エメラルドグリーンの『御手洗池』は『誰が池の中に入っても同じ深さ』の池との不思議な言い伝えかあります。
ひととおり参拝を終えると駅に戻ってJR鹿島線で本日の宿泊地『千葉』のビジネスホテルへ向かいました。鹿島線で潮来の水郷地帯を鉄橋で渡るときはちょうど夕日が水面に反射して絵のような美しさでした。(つづく)

 
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