房総半島への旅
1990年(平成2年)大阪花博の開催された年の正月、1月12日(金)〜1月14日(日)まで、千葉県の房総半島に旅行に行って来ました。
この当時、仕事が終わってから夜行列車で旅に出るというパーターンが定着していて、今回も東京行きの夜行寝台急行『銀河』号を利用しました。『今回も』というのは社会人になってから『銀河』号の利用が4回目を数えたからで、夜行列車としては最多の利用回数になります。周知の通り、寝台急行『銀河』号は2008年3月15日のダイヤ改正で廃止となりました。はからずも今回の旅行で、これが私の銀河号の最後の利用ということになりました。『銀河』号に使われていた車両は現在のブルートレインの主力にも使われている『24系25形』で車体側面にステンレスの帯が入っているのが特徴です。
車内は居住性を向上させた2段式寝台で、新幹線の最終列車より遅く出発し、同じく新幹線の始発列車よりも早く東京または新大阪に到着できる、しかもゆっくりと横になりながら、というのが一番のセールスポイントでした。そのため客層としてはビジネス客が多いように思われました。観光目的に利用した場合、東京起点に、朝一にスタートできるというのが最大の魅力でした。当時は単なる移動手段としてとらえていたため、旅情などはあまり感じませんでした。それだけに『廃止』になるという話になったとき、初めてもっとたくさん記録を、もっと写真をたくさん撮っておくべきだったと後悔しました。これは『銀河』に限らず、惜しくも廃止された他のブルトレまたは夜行列車にも言えることです。いま思えばちょうどこの当時がブルートレインの全盛時代で、このあと運賃の安い夜行高速バス路線の拡充や早期割引を導入した航空路線によって客足を奪われ、まるで坂道を転がるように各地のブルトレまたは夜行列車たちは次々と姿を消して行きました。まさに時代の流れを感じるブルトレ衰退の出来事でした。
感傷に浸るのはこれくらいにして、早朝の東京駅に着いた僕は、東京駅の地下ホームから『総武本線』のエル特急『しおさい1号』に乗り換えて千葉県の房総半島の代表的な港町『銚子』駅に行きました。ちなみに『しおさい』号は約20年たった現在も健在であり、使用車両は当時の183系から最新型の『E257系』という近未来的な新型車両に置き換えられています。仕事休みの土曜日のしおさい号の始発ということもあって車内はガラガラで、終点の銚子まで約2時間快適に過ごすことができました。
銚子からは今はやりの『ぬれ煎餅』で知られる『銚子電鉄』に乗って、犬吠埼を目指します。『銚子電鉄』は銚子から外川までの6・4キロメートルを所要21分で結んでいるミニ鉄道で、駅の数は全部で10駅。のちに経営危機に陥ったとき1995年に発売されたのがマスコミでもたびたび取り上げられている『ぬれ煎餅』で、2006年には『電車の修理代を稼がないといけません』とサイトでも大々的に呼びかけ、これに他のサイトやマスコミが反応しその知名度は全国的になりました。あまりの加熱ぶりに一時、入手困難となりましたが現在ではふたたびサイトでも買えるようになったようです。まさに『銚電のプロジェクトX』というかアイデアが会社を救った好例ですね。(つづく)

 
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