松前線の始発駅『木古内』は、180年の歴史がある佐女川(さめかわ)神社の『寒中みそぎ祭り』で有名なところです。毎年1月中旬に行われるこの祭りはいわゆる『ハダカ祭り』で、日本ハダカ祭りの北限されています。
切り離し作業を終えた列車は江差行きと松前ゆきに分かれ、江差行きはわずか4分の停車であわただしく発車していきました。列車番号が変わったわが松前行き4823Dはあらたに運転手がやってきて発車準備のため9分停車となります。ここで約半数の乗客が降車しワンボックスあたり2名ほどの乗車率となりました。ここからが本当の松前線の旅の始まりで、終点松前までの全線の距離は50.8キロメートルです。全線開通は1953年(昭和28年)11月8日で、1988年の廃止まで約35年の歴史でした。木古内を出た列車は海岸沿いに南へ向かいます。
最初の停車駅『森越』をすぎ、『函館の女』などのヒット曲で知られる演歌歌手『北島三郎』の出身地『渡島知内(おしましりうち)』に到着です。11:10着。余談ながら北島三郎は本名を『大野穣(おおのみのる)』といい1936年(昭和11年)10月4日生まれで、高校は函館西高等学校に進学し、在学中に函館で開催された『NHKのど自慢』に出場したことが歌手を志すキッカケとなったそうです。また高校時代は海で溺れた小学生を救助したというエピソードの持ち主で、美談として当時の函館新聞にも掲載され、函館市の『北島三郎記念館』にその記事が飾られいます。渡島知内を出た列車は途中広い水田地帯に出ます。道南の狭い渡島半島とはいえ、この広大さはやはり北海道とうならせます。知内温泉の最寄駅である『湯の里』駅は、のちに青函トンネルの北海道側の出入り口となったところで、知内町の発展が期待されましたが、海峡線の一部として複線電化され『知内(しりうち)』と改称され整備された駅には一日上下2本ずつの特急『白鳥号』が停車(2010年12月現在)するだけで、ほとんど通過地点のようになってしまい期待は空しいものになってしまいました。
つぎの『千軒(せんげん)』駅で二度目の列車交換です。この地にある千軒岳(1712m)はかつて多くの砂金が採れた山で、金堀り人夫の中に過酷な弾圧を逃れてきたキリシタンが多数紛れ込んでいて、のちに正体が発覚すると大量処刑にあったというなんとも血なまぐさい話が伝わります。
11:49『渡島福島』着。ここは第58代横綱の『千代の富士』の出身地です。このローカルな沿線にはとにかく有名人が多いことに驚かされます。これも余談ながら本名は秋元貢(あきもとみつぐ)といい1955年(昭和30年)6月1日に漁師の息子としてこの地に生まれました。漁の手伝いで足腰が鍛えられ、地元の間ではオリンピックにも行けるよ、といわれたぐらいスポーツは万能だったそうです。
現役時代の戦歴である1045勝437敗というのは勝ち星として歴代1位であり、連勝記録は53、優勝回数は29回です。もうひとり地元出身の横綱として『千代の山』がいます。横綱が二人も誕生したところは全国を探してもここ福島町だけです。長くなるので千代の山関のことは割愛しますが、国道沿いに『千代の山、千代の富士記念館』があり夏場には館内の土俵が九重部屋の合宿で使用されています。
ほかに町内の『渡島吉岡』駅付近には青函トンネルの試掘坑があります。1964年(昭和39年)から始まったこの試掘坑はのちに『先進導坑(せんしんどうこう)』となりトンネルを掘り進むうえでの地質調査に重要な役割を果たしました。北海道側の青函トンネルの建設基地となった福島町には最盛期には工事関係者約2000人が転入し、ほかに漁師をやめてトンネル作業員になった地元の人が約800人というたいへんな『トンネル特需』に沸き、この町の若い女性たちの多くがトンネルマンに嫁ぎました。町の明るい将来は約束されたかのように思われました。しかし結果としてトンネルは福島町に青函トンネル記念館のほかは何も残しませんでした。トンネルが途中から新幹線規格で建設されることになり、在来線規格で松前線に接続する予定が白紙になったからです。トンネルの完成と引き換えに松前線が廃止されたと地元の人が思っていることはこのことだったのです。まさにトンネルの光と影を見る思いがします。
『白符』駅。11:54着。駅といっても簡素な仮乗降場のような感じです。白符を過ぎると車窓左手に再び海が戻ってきます。
『渡島吉岡』駅は砕石工業があるせいか構内には建設資材が目につきます。渡島吉岡を出た列車は松前線最長の白神トンネル(約3キロ)を抜けます。このトンネル工事は困難を極め、完成まで6年の歳月が費やされました。ここでも北海道のトンネル建設工事に伝わる悲惨な『タコ部屋労働』が行われたといいます。車窓左手に見えている岬は北海道最南端の白神岬です(つづく)。

 
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