松前線の旅
青春18きっぷの二枚目は1988年(昭和63年)1月31日限りで廃止された『松前線』の旅に使用しました。
松前線が廃止されたこの年は『青函トンネル』が開業した年であり、さらには青函連絡船が廃止された年でもあります。そのため地元に人たちの間では今でも松前線は青函トンネルを走る『津軽海峡線』と引き換えに廃止になったと思っている人が多いと聞きます。松前線は輸送密度が1日あたり2000人未満の『第2次廃止対象路線』の33路線のひとつにリストアップされ、『乗って残そう運動』により目標をクリアした年もありましたが、下回ったときもあり、要するにボーダーラインぎりぎりだった実に惜しい路線でした。ちなみに33路線のうち廃止から免れることができたのは岩手県の岩泉線と三重県の名松線の2つしかありません。いずれも並行する代替道路の不備が理由でした。松前線には並行する国道228号線が早くから整備されており、後年レンタカーでこの国道を走りましたが海沿いのじつに快適なハイウェイでした。
1984年(昭和59年)8月15日水曜日、松前線乗車のため函館駅の0番ホームにやってきました。すでにホームには函館9:50発松前・江差ゆき721Dが入線していました。
列車は4両編成で、前の2両が江差行きで後部の2両が松前行きです。列車は江差線の途中の木古内(きこない)まで一緒に走り、そこで切り離し作業を行うのです。車内は函館発車時には以外なほど乗客が多く、4人掛けのボックスシートはほぼ満席の状態でした。けっこう混んでいる、というのが当時の印象で数年後に片一方がよもや廃止になるとは思ってもみませんでした。五稜郭駅をすぎ函館本線から分岐すると列車は江差線に入り最初に『七重浜(ななえはま)』駅に停車しました。近くに函館と青森を結ぶ『津軽海峡フェリー』の函館港があります。
また忘れることのできない悲劇的事件としてはこの浜の沖合で1954年(昭和29年)9月26日の台風で沈没した青函連絡船『洞爺丸事件』があります。台風接近の荒天下に函館を出航した旧国鉄青函連絡船『洞爺丸』が高波により転覆沈没した事件で、乗客・乗員だけで1000人以上の命が失われました。原因は天候状況を見誤った船長の判断ミスもありましたが、ほかに当時の連絡船の構造的欠陥という側面がありました。それは貨車などの車両の積み込み作業を円滑にするため後部積込口が開口されていたことです。つまり海に向かってたえず開いたままだったわけであり、遭難時にはここから大量の海水が車両甲板に奔流しました。車両甲板には通気口などのいくつもの蓋があって、海水はこの蓋のスキマから機関室へと侵入し、エンジン停止に追い込まれました。事故当日、航海危険と判断した船長は七重浜の沖で錨を入れ、両舷エンジンの力を使って船首を風に立てて台風による高波が収まるのを待つという作戦をとりました。ところが前述のとおり開口部からの浸水により機関室が浸されてしまいエンジン停止、抵抗力を完全に喪失した船体は、高波による座礁後さらに巨浪の一撃を船腹にうけ、ついに転覆沈没してしまいました。事故後、新造された津軽丸2型は、問題の後部開口に『水密扉』を取り付けました。これにより浸水による安全性は飛躍的に高まりましたが、皮肉なことにこの事故がさらに青函トンネルの建設を促進せよ、という結果となったのは非常に残念なことです。現在、七重浜にはこの台風の犠牲となった洞爺丸ほか数隻の貨物船の連絡船の慰霊碑が建てられています。
列車は『上磯』に入るとセメント工場の巨大な煙突群が見えてきます。付近に無尽蔵といわれる石灰岩の鉱山があってこれを原料としたセメント製造が約100年前からおこなわれています。
また上磯は2006年に誕生した『北斗市』の中核町でもあります。
それまでは函館市は近隣の『市』を求めるならば、はるか洞爺湖の近くの『伊達市』か津軽海峡をはさんだ海の向こうの『青森市』しかなく、本州の人たちにはほとんど注目されませんでしたが、函館市に隣接するこの『北斗市』の出現は非常に大きなニュースでした。
列車は津軽海峡に沿って弧を描くように走ります。遠くから見る上磯の煙突群がまるで海上都市のようです。今日は霞んでいていつもは良く見える函館山も下半分しか見えません。10:22『茂辺地』駅着。由来はアイヌ語の『モペチ』(静かな川)から来ています。茂辺地川というサケの遡上する川があります。茂辺地を出ると車窓左手には海がふたたび寄り添ってきます。線路に並行して走っているのが国道228号線です。
10:29『渡島当別』着。ここで最初の列車交換があります。渡島当別には男子修道院である『トラピスト修道院』があり、右手にほんのわずかですが修道院の建物を正面に望むことができます。10:46。『札苅(さつかり)』着。つぎはいよいよ松前線の分岐点である『木古内』です。10:50『木古内』着。ここで函館から約1時間付き合ってきた江差行き列車との切り離し風景を見学するためホームに降りました(つづく)。

 
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