会津若松城に登ってみようと思い歩いてゆくと途中『鶴ヶ城稲荷神社』に初詣に来た大勢の人たちを見かけました。
『鶴ヶ城』とは若松城の別名で、安土桃山時代に豊臣秀吉の配下の名将として名高い『蒲生氏郷』(がもううじさと)が7層の天守閣を造ったときに命名したものです。いまにいたる城下町の基礎もこのときに築かれたため会津の人たちには鶴ヶ城のほうがなじみ深いようです。戊辰・会津戦争による籠城戦は約1ケ月におよびましたが、官軍の長距離砲による死傷者の増大、孤立無援の状況などでついに降伏・開城となりました。損傷した天守閣はその後、解体され、現在のものは昭和40年に鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。
高さ36メートルの天守閣からは会津の町並みや磐梯山などが望めます。
駅に戻り13:27発の快速『ばんだい』で郡山に出て、そこから福島まで東北新幹線を利用し、さらに山形まで奥羽本線の特急『つばさ』で移動しました。今夜の宿の山形駅前のビジネスホテルの人が『雪のない正月は15年振りですよ』と教えてくれました。
明けて1月2日、今日は夕刻に仙台駅で高橋君と合流する日です。それまでの時間、山形では蔵王とならぶ名所の山寺・立石寺(りっしゃくじ)に行って見ようと思いました。
山形駅から普通で約30分で山寺駅に到着します。駅舎はみちのくを代表する名刹の玄関口らしく古色蒼然とした寺社造りです。もちろんエスカレーターやエレベーターなどはありません。
駅前に立つと目の前に宝珠山(ほうじゅさん)が見えていてこの山全体が立石寺の境内となっています。ここはだいぶ雪がありそうです。立谷川にかかる橋の川岸にこの寺をひらいた慈覚大師ゆかりの『対面石』という巨岩があります。860年(貞観2年)に山寺を開山した・慈覚大師・円仁(えんにん)という人は不思議な人で座禅を終えて立ち去ったあともしばらく影が残っていたといわれています。
山門の入り口右手にある『根本中堂』には慈覚大師が開山のときに同じ天台宗の比叡山延暦寺から移したといわれる日本最古(約1100年)の『不滅の法燈』があります。織田信長の比叡山焼き討ち事件のあと再建された延暦寺に今度は立石寺からこの不滅の法燈が移されました。なにかオリンピックの聖火のような話ですね。江戸時代、俳人・松尾芭蕉は『奥の細道』でこの地を訪れ、名句『閑さや岩にしみいる蝉の声』をのこしました。境内は奥の院までは約1000段の石段があり仁王門を過ぎる頃から降雪が激しくなり、岩の上にそそり立つ開山堂・納経堂のあたりまでくると雪で視界がききません。立石寺、随一の展望スポットである清水寺のような舞台造りの五大堂からの眺めも雪ですっかりかすんで見えるだけで残念でした。
お昼すぎ山寺をあとに快速『仙山』で仙台に向かいました。仙台には約50分ほどで到着しました。もう雪は止んでいました。(つづく)

 
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