積丹半島への旅
承知の通り『青春18きっぷ』とはJR(旧国鉄)全線の普通・快速列車が一日乗り放題の利用期間限定の企画乗車券(トクトクきっぷ)の一種です。初登場は1982年(昭和57)3月1日発売の『青春18のびのびきっぷ』で、1983年の春季発売分より現在の名称の変更されました。利用期間は学生の春・夏・冬の休暇期間を対象として発売されていますが、利用にあたってはとくに年齢制限などはなく、だれでも気軽に利用できます。
金額は初回のみが8000円で、のちに10000円にに変更、1986年の冬季分より11000円に値上げされ、現在は消費税分を加算した11500円となっています。現在のきっぷは、1枚の券面に5カ所ある乗車船日記入欄に利用日の改札印を押してもらい、使用開始を示す方式ですが、僕が利用した1984年(昭和59年)当時は、1日利用券が5枚つづりとなっていて、一枚ずつ切り離して使う方式となっていました。
今回はこれを利用して北海道と青森・下北半島を旅しました。
北海道の函館に叔母の家があることにより、昔からここを拠点に道内を旅行しました。
テレビの旅番組で積丹半島の特集をやっていてかねてから機会があれば行ってみたいと思っていました。時刻表を眺めていると函館発札幌ゆきの普通夜行列車で『41列車』というのがあり、これを18きっぷで利用していってみようと思いました。
道内の普通夜行列車は、小樽〜釧路間で運転されていた『からまつ』が1980年(昭和55年)に廃止になり、最後に残っていたのが今回乗車する下り札幌ゆき『41列車』でした。ちなみに上りは札幌発函館行き夜行『46列車』といい、ともに山線と呼ばれる函館本線経由でした。函館に住むいとこに41列車のことを聞くと、シーズンは大変な人気で、早くいって並ばないととても座れないよ、ということです。
1984年8月12日日曜日夜、函館駅に行くと、23:51発札幌ゆき41列車はこちらへの立札があり、まだ出発3時間前というのにすでに数人が列を作っていました。さっそくカバンを置いて行列待ちの役目をさせて僕はカバンが見える位置の待合室のベンチに腰をおろしひたすら改札が始まるのを待ちました。いとこがいっていたように次第に長蛇の列となり改札が始まるころには駅舎の玄関付近までのびていました。41列車には多客期には『カーペットカー』と呼ばれる絨毯敷きの車両が連結され、横になって行けることから人気の的になっていました。
時間がきて改札開始となり、カバンを抱えてカーペットカーなるものに乗車すべく突進しました。ホームに降りてゆくと隣の3番線に札幌行きの臨時急行すずらんが停車しており41列車は4番線に停車中です。しかし肝心のカーペットカーの停車位置がわからず、右往左往し、その間にもどんどん人が降りてきて、みるみる座席が埋まっていきます。このままでは座れない恐れがてできたのでやむを得ず、近くの座席車に駆け込んでとりあえず席は確保しました。それにしてもすごい人気で通路まで人があふれる有様で、まるで通勤列車のようです。翌日の小樽まで4人掛け向い合せのボックスシートで過ごした座席車の夜はつらいものでした。それでも一晩中通路に立ちっぱなしの人が大勢いて、その人たちに比べるとはるかにマシな境遇と言わねばなりません。
8月13日月曜日5:59に小樽で列車を降り、改めてカーペットカーの連結位置を確認しました。今度は絶対にロストしないようにと思いながら。
早朝の小樽は小雨がちらつく肌寒い天気でした。当時、小樽は『84小樽博覧会』の真っ最中で、じつに小樽市では26年ぶりの博覧会でした。会期は8月26日までの78日間で167万人の入場者を集め、地方博としては大成功を収めたとされます。この博覧会による混雑の影響でこのあとバスに大幅な遅れが発生し、行程に狂いが生じるとはこのときは思ってもみませんでした。
小樽駅からバスで積丹半島へと向かいます。バスは途中、余市駅を経由します。余市というとニッカウイスキーの工場のほかに、記憶に新しいところでは1992年スペースシャトル『エンデバー号』に搭乗し日本人二人目の『宇宙飛行士』となった『毛利衛』さんの出身地です。毛利さんにちなんだ施設としては『余市宇宙記念館・スペース童夢』があります。バスは余市をすぎて国道229線をしばらく走ると車窓右手に海が見えてきました。この積丹東海岸は奇岩・怪石が多いところですが、中でも『ローソク岩』は代表的景観と言えます。伝説があり、むかし異国の神が北海道を持ち去ろうとしたとき北海道の神々が集まって、この岩に縄をくくりつけて阻止したと言われます。こんな細長い華奢な岩にそのような重責が担えるのかとはなはだ疑問ですが、ほかにも『セタカムイ岩』といって国道の別名『セタカムイライン』の名称のもとになった岩などがあって、美国までの約90分の車窓を楽しむことができます。
美国バスタールナルで降車し、ここから入舸(いりか)経由余別ゆきのバスに乗り換えました。ターミナルとはいってもただ広いだけで付近にめぼしいものはなにもなく拍子抜けした感じです。バスの待ち時間を利用して、徒歩10分ほどにある『黄金岬展望台』にいってみました。美国は積丹半島の東海岸の中心地で、かつてはニシン漁で大いに栄えたところです。展望台からは断崖絶壁の海岸線が一望のもとに見渡せます。
目前にある島は『宝島』でニシンの好漁場でした。小さい岩のような島は『ゴメ島』で、ゴメとはカモメのことであり、カモメが海上に羽を休めているように見えることからこの名がついたのだそうです(つづく)。

 
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