深名線の旅
13:14『名寄』着。ここですし詰め状態の車内から大半の乗客が降りました。僕もその中の人たちと一緒に降車しました。駅名の由来はアイヌ語の『ナイオロブツ』(川の傍らの河口)が転訛したもので、名寄川が天塩川に注いでいることからきています。ちなみに天塩川は石狩川についで北海道で2番目に長い河川で、全国的にも第4位の長さです。
名寄駅はこれから乗車する『深名線』のほかに、1989年に廃止された『名寄本線』の始発駅であり、この路線を使うとオホーツク海に面した『紋別(もんべつ)』駅方面に抜けることも可能でした。『本線』を名乗っていたのは当時オホーツク海に至る唯一の路線だったためで、のちに北見峠を越えて『網走』に通じる南の『石北本線』が開通すると幹線の役割を石北本線に譲り渡し乗客が激減してしまいました。廃止にあたっては比較的乗降客の多い一部区間を第3セクター化し存続させる計画もありましたが、各自治体の意見が合わず、結局全線廃止ということになりました。のちに深名線も廃止されてしまい、分岐する路線の無くなった名寄駅は宗谷本線のただの途中駅になってしまったのです。
つぎの深名線『朱鞠内ゆき』まで待ち時間が90分ほどあるので、駅のメインストリートを散策することにしました。まっすぐにのびる大通りには、とくに高い建物はなく、いちおう商店街を形成してはいますが、買い物客らしき人を数人見かけただけで、北国の高い空の下にのんびりムードが漂います。現在の名寄市の人口は約3万人ですが、この当時は近隣町と合併前だったはずで人口は3万人に達していなかったと思われます。この商店街のカメラ屋さんで36本撮りのカラーフィルム3本を購入しました。
深名線14:51発朱鞠内ゆきは944D列車は、たった1両の単行運転です。使用車両の『キハ22』形は北海道用に耐寒構造をほどこしたもので、客室出入り口は側面ドアではなく、車体両端にドアを取り付け『デッキ』を設け、客室の窓は2重窓としました。すべて客室内の『保温』のためです。キハ22形ディーゼルカーは、1000両以上が製造されたキハ20系と呼ばれた気動車の改良型で、普通列車のほかローカル急行列車にも広く運用されました。道内には150両ほどの仲間が活躍していましたが老朽化のため1995年までに全車廃車となりました。
車内は地元の人は少なく、どう見ても類友の鉄道ファンらしき人物が目立ちます。
名寄を出たディーゼルカーは国道40号をアンダークロスして14:56に『西名寄』に到着しました。とたんに家並みが途切れてしまったのには驚きました。深名線は沿線の林業開発と雨竜川水系でのダム発電を目的に建設された路線で、路線は日本最大の湛水面積(ダム湖の面積のこと)をもつ人造湖の『朱鞠内湖(しゅまりないこ)』の外側を迂回するように敷かれています。ここに雨竜第一ダムという発電専用の重力式コンクリートダムが建設されることになったのは『王子城下町』と呼ばれた苫小牧にある王子製紙に電力を供給するためです。建設作業は太平洋戦争期間中と重なり、日本は男子が徴兵により動員され人手不足だったこともあり、多くの連合国捕虜を投入使役する結果となり、そのほとんどは過酷な『タコ部屋労働』だったといわれています。完成は昭和18年で延べ600万人の労働者が建設に従事しました。この地方は北海道でもっとも寒冷地のひとつであり冬はマイナス40度の酷寒になることも珍しくなく、寒さのために倒れる作業員が続出し、判明しているだけで約210名の作業員が犠牲になりましたが、戦時中のことで記録があいまいで正確な数はいまだに不明とのことです。
『北母子里(きたもしり)』駅。15:31着。ここは1978年(昭和53年)2月マイナス44.9度を記録した日本最寒の地です。冬になるとこの深名線沿線では空気中の水分が凍りついて粒子状に光って見える『ダイヤモンドダスト』現象がふつうに見られたそうです。
車窓から『朱鞠内湖』がみえてきました。夏場ということもあり水が少し枯れているようです。この日本最大の面積の人造ダム湖の貯水能力1億8万立方メートルが決壊すると下流の石狩平野が水没してしまうほどの被害が出ると言われています。
14:54。『湖畔』駅着。湖までここから徒歩10分です。時刻表にのってない駅で、たぶん季節停車の駅だからと推測されます。
15:58。『朱鞠内』着。名寄からの944D列車はここで終点です。ここから16:02発の深川ゆき、930D列車に乗り換えです。接続時間はわずか4分で、駅の写真とスタンプを押しに慌ただしく列車を降ります。写真はとれましたが、駅スタンプは愛すべき類友の鉄道ファンたちが押すのを長々と順番待ちしており、接続列車に乗りはぐれる恐れがあったので断念しました。『政和駅』16:28着。この次の駅『政和温泉』は秘湯で知られています。『鷹泊』駅。17:17着。ここで深川からやってきた朱鞠内ゆきの927Dと交換します。終点『深川駅』には17:59に到着しました。名寄から約3時間のディーゼルカーの旅でした。列車から降りると夏の夕日がホームに長くのびていました。ここから札幌に戻って21:25発の函館行き普通夜行46列車に乗りました。
帰路も『カーペットカー』の乗車に成功し、函館まで横になって楽々と過ごすことができたのはほんとうにラッキーでした(おわり)。

大阪府 S様

 
1 2  道中記TOPへ
     
 

(c) 2005 Takahashi Satoshi. All Rights Reserved.