ラストコール青函連絡船
1988年(昭和63年)は日本の西と北で、交通革命ともいうべき大きな出来事があった年です。西では世界初の道路・鉄道併用橋である『瀬戸大橋』の開通であり、北においては世界最長(当時)の『青函トンネル』の開業がそれです。
北海道では、青函トンネルの開通記念にあわせて札幌で『世界・食の祭典』、函館・青森両市では『青函トンネル開通記念博覧会』の2大イペントが開催されることになりました。『世界・食の祭典』(ジュノス・ジャパン88)は同年6月3日〜10月30日まで開かれた地方博覧会で、地方博ではその杜撰な運営から日本史上『もっとも失敗した博覧会』のひとつに挙げられています。赤字額は約90億円に達し、北海道の経済に大打撃を与えただけでなく、関係者から自殺者まで出る始末で、道民からは食の祭典ならぬ『ショックの祭典』とまで揶揄されました。『青函トンネル開通記念博覧会』(以後、『青函博』)は同年7月9日から9月18日まで食の祭典と同時開催された博覧会で、函館会場と青森会場のふたつに分かれていました。入場料はともに2000円で、この年は天候不順が多かったにもかかわらず会期中、青森会場で147万人の集客があり、函館会場では120万人の集客数で目標の150万人には届かなかったものの、まずまずの成功を収めたのでした。さらに函館では中国から文字通り『客寄せパンダ』として、別会場に2頭のパンダ(シンシンとケイケイ)をレンタルし、目標60万人に設定しましたが、こちらのほうは26万人の集客に終わりました。世間ではすっかり忘れ去られていますが、わずか3ケ月間の滞在だったとはいえ、北海道にパンダがやってきたのはこれが最初でした。
さらにこの青函博の開催中、もうひとつのイベントが用意されました。
それが同年7月9日から9月18日までの108日間に行われた青函連絡船の『復活運航』です。同年3月13日の青函トンネルの開通とともに一度は廃止された連絡船たちが、期間限定とはいえ、また津軽の海に帰ってくることになったのです。このニュースに僕の胸はときめきました。『また連絡船に会える』と。
1988年(昭和63年)8月10日水曜日の夜、ふたたび大阪駅10番ホームにやってきました。ふたたび、というのは前年にも連絡船に『お別れ乗船』すべく訪れたからで、我ながらその熱心さにあきれています。今回も東京行きの夜行寝台急行『銀河』を利用します。なぜ毎回、青森にゆくのに日本海縦貫線を直通する青森ゆきブルートレイン『日本海』を利用せず、わざわざ時間も費用もかかる東京経由で行くのかといえば、当時は会社の夏季休暇がぎりぎりまではっきりせず、列車の指定券も乗車日の2ケ月前発売(現在は1ケ月前)だったため、休暇が決まってから急いで『みどりの窓口』に駆け込んだときには、時すでに遅く『日本海は満席です』といわれるのが常だったからです。
22:10。銀河号は大阪駅を発車しました。青森まで15時間の旅の始まりです。東京には翌朝6:47に到着しました。ここから山手線で上野に出て、東北新幹線で盛岡を目指します。今回は前年の失敗に懲りて、新幹線とそれにつづく『はつかり号』もすべて指定席を購入しました。自由席との料金差はわずか500円で、自由な旅に固執するあまり、今回も盛岡まですし詰めの自由席で立ちっぱなしになってはかなわないからです。指定席を持っていることから心に余裕があり、上野駅の構内を眺めながら歩いていると、連絡通路に『パンダ』の大壁画があるのが目につきました。近くにある上野動物園は日中国交回復を記念して、1972年(昭和47年)に中国から初めてパンダが贈られてきた(レンタルではなく)動物園であり、この壁画はそれにちなんだものと思われます。卑俗な感想ながらどこかの銭湯で見かける絵画のようでもあります。
ちなみにこの当時、上野動物園にいたパンダは、初代のカップルの『カンカンとランラン』はすでに亡くなり、2代目のカップルである『ホアンホアンとフェイフェイ』の時代になっていました。いま上野にはパンダはいませんが、そう遠くない将来にまた中国からやってくることになっているようです。ただし『パンダビジネス』と呼ばれるようにもはや寄贈ではではなく、新しくやってくる予定のパンダはすべて『レンタル』となる予定です。
上野7:52発の東北新幹線『やまびこ1号』は『スーパーやまびこ』と呼ばれ、途中、仙台のみに停車し、終点盛岡まで493キロメートルをわずか2時間30分で結ぶ高速列車です。最高速度は時速240キロで、表定速度は時速194.6キロです。編成は12両と16両の東海道・山陽新幹線と比べると短いですがそれでも全長は300メートルもあります。
走り出すとやはり疾いです。鉄道唱歌の歌詞のなかで『畑も飛ぶ飛ぶ家も飛ぶ』というのがありますがまさにそんな感じです。
盛岡には10:27に到着し、ここから10:37発の『はつかり83号』に乗り継ぎます。
こちらも青森まで約2時間30分で、所要時間なら、やまびこ1号と同じですが、盛岡〜青森間は203.9キロメートルと約290キロも短く、いかに『スーパーやまびこ』が早いかがわかります。はつかり83号は13:00に青森に着きました。大阪から15時間の列車の旅はここに終わりを告げました。昨年のお別れ乗船から1年後。青函連絡船との再会のときが徐々に近づいていました(つづく)。


 
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