青森紀行
ふたりで青森にいこうということになり、高橋君の仕事が終わってから新大阪駅から新幹線で東京駅経由で上野駅に行きました。写真から、新幹線は先ごろすでに引退したなつかしい『0系』であることがわかります。上野駅からは青森ゆきの寝台特急『ゆうづる』号に乗りました。上野〜青森間を結ぶブルートレインゆうづる号は最盛期には7往復が運転されていました。このときもホームに2本のゆうづる号が並んでいるのが見えますね。左側が僕らの乗った14系寝台車のゆうづる、右側は24系寝台車を使用したゆうづる号です。同じブルートレインなのにどこが違うの?というと『14系』のほうは車両の床下に発電機を積んでいて、その騒音でディーゼルカーと間違えそうです。かたや『24系』のほうは『電源車方式』といって編成の最後部に発電専用の電源車を連結しています。そのため寝台車の静かさといった点では24系のほうが優れていると思います。
翌朝、青森についてレンタカーを借りて津軽半島最北端の『竜飛崎』を目指します。車種は『スバル・レオーネ』で当時はいまだカーナビの設備がない時代でした。むつ湾にそって北上してゆくと白い灯台があらわれました。平舘海峡に立つ、平舘(たいらだて)灯台で、陸奥湾がもっとも狭くなるところです。さらに北上すると柱状節理の断崖が続く『高野崎』です。ここには遊歩道があって目の前には津軽海峡が広がります。半島最北端の竜飛崎はたいへん風の強いところですが、この日は風もなくおだやかで、周囲がよく見渡せました。遠くにうっすらと北海道が見えいたような記憶があります。当時はまだこの津軽海峡の下を青函トンネルの工事が進んでいた頃で、完成はこの年から3年後の1988年でした。
竜飛崎からは国道339号線(龍泊ライン)を通って津軽半島のもうひつとの著名な岬である『権現崎』(ごんげんざき)に向かいます。国道339号線はダートの悪路として知られ少し前までは積雪により冬季通行止めになったところです。権現崎は津軽半島の西側の日本海に突き出た断崖絶壁の岬で、とくにここから眺める夕日の美しさには定評があります。岬へはかなり急な階段を登った記憶があり、暑さと秘境の岬に到達したという達成感から、シャツを脱いで喜びに湧く高橋君の姿が今でも忘れられません。豪快な岬の光景に、僕もなにか世紀の偉業を極めたような不思議な気分になりました。
この日は夜おそく五所川原市の旅館に一泊し、翌日フェリーかもしかで、蟹田から対岸の下北半島の脇野沢まで陸奥湾を横断しました。脇野沢は現在、増えすぎた本州北限のニホンザルの被害に悩まされている地域です。下北半島では本州最北端の大間崎を見学したあと、もうひとつの観光スポット『仏ケ浦』(ほとけがうら)に行きました。約2キロにおよぶ奇岩・怪石のつながりに圧倒されました。帰りは三沢でレンタカーを返却し、特急はつかり号で盛岡にでて東北新幹線・東海道新幹線と延々乗り継いで大阪まで帰りました。なかなかハードな青森の旅でしたね。

大阪府 S様


 
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